【事前学習】 バルカン半島の歴史とセルビアの悲劇

さて、前回ギリシアでフードデリバリーを調査しましたが、今回は隣国セルビアのIT事情のリサーチを記事にしたいと思います。

バルカン半島というと、多くの日本人にとって「ヨーロッパの火薬庫」という世界史で習ったイメージ止まりなんじゃないか、と思います。そしてセルビアと聞くと、世界史に詳しい人なら、オーストリアの皇太子がセルビア人青年によって暗殺されて第一次世界大戦が始まった、という文脈で知っている人もいると思います。
歴史に興味がない人でも、ユーゴスラビア紛争とかコソボ紛争といえば、1990年前後のニュースで目にした人も多いはず。セルビア人がボシュニャク人を虐殺しまくって「戦後最大の虐殺」と言われた話は有名です。この事件を機に「民族浄化」というキーワードが日本でも有名になりました。

日本での報道だと、「セルビア=悪」であり「虐殺や民族浄化を行った悪逆非道な人々」というイメージが強いわけですが、隣国のブルガリア人からすると「セルビアは兄弟みたいな関係」「セルビアは良いところだ」と、ずいぶんな親密ぶりを複数の人から聞かされていました。
これは一体どういうことなのか、ちょっと気になってきました。

ITレポートも大事だけど、まず先に歴史のお勉強をしましょう。

ブルガリア、ギリシア、セルビア……このバルカン半島は、オスマントルコ帝国の領地として長らく支配されてきました。当時ヨーロッパのどの国よりも強大だったオスマン帝国は、周辺領地を「ミレット」と呼んで支配しています。バルカン半島は古くからキリスト教……その中でも東方正教会というカトリックやプロテスタントとはまた違った宗教が根付いていて、イスラム教と混在した歴史が続いてきました。

オスマントルコ帝国

やがてオスマン帝国が弱体化したのをきっかけに、当時のロシア帝国支援のもとでバルカン半島の各国は独立します。ロシア帝国としては当時近隣国だったオーストリア=ハンガリー帝国との緩衝地域を設ける意図もあって汎スラブ圏を提唱しており、バルカン半島諸国を独立させることに意義があったわけです。

元々セルビアという国は、14世紀頃まで遡るとコソボ・セルビア・ボスニア・ヘルツェゴビナあたりがひとつの国として成立していた事情がありました。オスマン帝国から独立した際、セルビア王国はセルビア地域を領有し、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域はオーストリア=ハンガリー帝国が実効支配しました。
当然セルビア的には「火事場泥棒的に盗まれた」という思いがあって、それが巡り巡ってオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子がサラエヴォで暗殺され、第一次世界大戦が始まります。
結果的にオーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域が宙に浮きます。ここを領有宣言して、クロアチア・スロベニアなども合流し、セルビア王国はユーゴスラビア王国と改まるわけです。

チトーの登場で社会主義国へ

その後時代はナチスドイツの台頭、第二次世界大戦を経て、冷戦時代へ突入します。
ここも色々あったのですが、ざっくり言うと、ナチス側に与しようとした王室政府はクーデターでロンドンに亡命し、ナチスとの抵抗戦争が始まります。この難局を率いたのはチトーという人物。クロアチアの農村生まれで、本名ヨシップ・ブロズ。チトーというのは「お前がやれ!」という意味。ニックネームですね。

彼は反ナチスの抵抗組織を組織するのですが、彼がその辺のパルチザンと一線を画していたのが、「全員野球」ならぬ「全民族統一で抵抗運動をしよう」という呼びかけでした。パルチザンって基本的には民族運動と合わさるものなんですが、ここをユーゴスラビアにいるすべての民族でナチスに対抗しようという運動にデザインしたことが彼の天才性で、これが80万人規模の軍事組織を作り上げた原動力となります。
彼はソ連の支援を一切使わずに自力でナチスを追い出してしまうという偉業を達成します。

戦後、チトーは逃げた王室政府の帰還を許さず、ユーゴスラビア連邦人民共和国を建国します。
ソ連の影響はなかったにせよ、彼は農村の貧しい生まれです。資本家・皇帝・帝国主義に抑圧される労働者・農民を解放するという社会主義の考え方に彼も賛同しており、社会主義国へと舵を切ったわけです。

チトーの伝説はさらに続きます。
社会主義国になったから、ソ連と仲良し……にはなりません。社会主義は好きだがスターリンは嫌い。
ソ連側も怒ってコミンフォルムから追放するのですが、逆にスターリンに「刺客を送るならこちらからも送る」と恫喝状を送りつけ、実際にソ連のスパイを次々と粛清しました。東欧の共産主義指導者の中でスターリンに正面から逆らって生き残った唯一の人物です 。

チトー死後、ユーゴスラビア連邦分解

さて、ここからが大きく動きます。
型破りな独裁者チトーも寿命には逆らえません。1980年にチトーが死ぬと、ここまで薄氷の上に成り立っていた国家のシステムが一気に崩壊してしまいます。
ユーゴスラビア連邦は、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字が混在していた……つまり、最初から1つの国家としてやっていくのは無理筋な地域だったのです。これを天才チトーがカリスマと独裁者パワーで上手くまとめ上げていたが、死後10年もしないうちにガタガタになっていきました。

まず、1991年にスロベニア、クロアチアが独立を宣言して戦争が始まります。
続いて1992年にボスニアが独立を宣言して泥沼化します。ボスニアの首都サラエヴォは、東方正教会系のセルビア人、イスラム系のボシュニャク人、カトリック系のクロアチア人が混在していて、チトー政権下では仲良く隣人付き合いをしていたのですが、当時のミロシェビッチ大統領によって大虐殺の火蓋が切って落とされました。
サラエヴォは盆地の都市だったため、周辺の丘陵地帯をセルビア軍が押さえ、砲撃とスナイパーでガンガン殺していきます。
さらにセルビアの南にあったコソボでも虐殺が始まってしまいます。

ナチスと同じ構図のように思うのですが、登場した国家のリーダーがヤバい奴だと、悲劇は起こるし、歯止めが利きません。
日本のニュース番組で流れていたのは、ちょうどこのときの話です。
ミロシェビッチは元銀行官僚で、民族主義者というわけではなかったそうです。コソボを訪れたとき、セルビア系住民が「アルバニア人に酷いことをされた」と泣きつかれ、その時「民族主義者っぽく振る舞うと権力を握れるんじゃないか」という悪魔の声がささやいた……というところが実際のようです。以後彼の論説は「セルビア人は不当な扱いを受けている」「セルビア人は常に被害者だ」という話になって、彼に扇動されたセルビア人が、これまでの隣人を殺し始めてしまうという悲劇の構図が実際の姿だったようです。

国連は平和維持部隊を派遣しますが、結果的にこの事態を傍観してしまいます。
紆余曲折あり、NATO軍が介入し、セルビアを空爆するという決断を行います。NATO軍の空爆は苛烈を極め、セルビア軍は撤退を余儀なくされ、やがてミロシェビッチ大統領以下政権のヤバい人たちも逮捕され、民主主義へと転換していくわけです。

ただ、NATO軍は国連に諮ろうともせず、当時のクリントン大統領の独断で空爆を実施させました。セルビアは壊滅的な打撃を受け、大きく戦線を後退させますが、そうなると逆襲の始まりです。これまで被害者だったアルバニア系住民、ボシュニャク人なども一斉にセルビア人に牙を剥いて虐殺、民族浄化を行います。
また、この戦争を通じて、セルビア人だけが虐殺を行っていたわけではないことも理解する必要があります。各民族がお互いに酷いことをしていたわけで、その点においては「セルビア=悪」というのは日本のニュースの単純化されたイメージに過ぎないのです。

首都ベオグラード
首都ベオグラードの空爆跡
首都ベオグラードに残るNATO軍の空爆跡。
建物は旧ユーゴスラビアの国防省ビル。崩落しそうなリアルさで、特に観光地化されているわけではなく、敢えて残してあるそうです。彼らにとっては自戒の気持ちと不均衡に対するわだかまりが見える気がします。

戦後、セルビアは戦争犯罪を厳しく断罪されるのですが、逆にボシュニャク人やアルバニア人はほとんど裁かれませんでした。
日本もかつて戦争犯罪を裁かれたものの、アメリカによる原爆や東京大空襲のような民間人に対する虐殺行為は一切裁かれていない不均衡を経験していますが、それと同じ思いだと思います。
こうした不平等な取り扱いはセルビア人の意識に深く刻み込まれているようで、現在もセルビアはEUにもNATOにも加盟していません。今後もないだろうと思います。

ヨーロッパ屈指の親日国

そんなセルビアですが、ヨーロッパでも屈指の親日国です。
戦争終結後から日本はこれまで500億円規模の支援をしており、道路交通や電力などのインフラから医療、教育、文化など幅広い支援をしてきました。
日本は「民族同士のケンカを止めて、みんなで共同で使う約束ね!」という条件付きで支援しており、これが非常にウケてセルビアで日本の株が急上昇し、日本の碑が建てられるほどの人気ぶりです。

僕がセルビアを訪れたときも、「日本人か! そうかそうか!」と上機嫌になるお店の人もいました。

ベオグラードに進出する中国企業

ただ、少し気になるのは中国の進出です。
中国の一帯一路政策の流れだと思うのですが、中国企業がやたら進出しており、巨大なビル建設、道路建設などに中国企業の看板が掲げられているし、夜になるとド派手なLEDイルミネーションが光り輝く、あの中国独特のセンス爆発なビルや高速道路がチョロチョロ見えているし、街中には中華料理店があちこちにある……これは結構ヤバいぞ! という感じがありました。
日本の政策支援で500億円を掛けたが、民間企業が全然出てきていない。
そうこうするうちに中国に塗り替えられてしまうのでは、あまりにも不甲斐ない。
次回、セルビアの首都ベオグラードのIT事情をレポートします。

上部へスクロール