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	<title>ノイテックスWebサイト</title>
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	<description>お前と、くま社長の、カレー談義。</description>
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		<title>「SPAMカレー」</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Aug 2010 04:04:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>くま社長</dc:creator>
				<category><![CDATA[レトルトカレー日記]]></category>

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		<description><![CDATA[　沖縄の有名な食品「SPAM」を盛り込んだカレーを、ちょいまちさんから頂きました。 　SPAMはホーメルフーズというアメリカの食品加工会社が作ったもので、沖縄が占領されて上陸した食品です。しかし現在ではゴーヤチャンプルやSPAMエッグなどなど、沖縄料理の定番にも広く用いられ愛されている食材のひとつです。 　ちなみに「モンティ・パイソン」というイギリスのコメディアングループがあって、彼らが「空飛ぶモンティ・パイソン」中でSPAM缶をネタにしたことから、迷惑メールをスパムと呼ぶようになったという説があります。僕もビデオで見ましたが、大変面白いコントでしたよ。 　ご飯にかけたところ、その少なさにちょっと唖然。 　慌ててパッケージ裏面を見返してみると、「180g」と。最近食べてきたカレーは220gだったりして幾らか多めですが、200gが平均値です。180gはやはり少々少なすぎるように思います。無印良品のレトルトカレーと同量です。 　具は小さめにカットされたSPAMと人参、ジャガイモが見えます。見た感じはそんなに不味そうではありませんね。 　早速一口。 　カレーは、まあ、何というか、「子ども会の終わりに父兄がカレーを作って振る舞ってくれたよ」的な、いわゆる子ども向けカレーの味わいです。バーモンドカレーの甘口。学校給食のデキのいいの。決して不味いのではないですが、もうちょっとカレー然としていても良いのではないでしょうか。まろやかすぎて、中辛と言うより、むしろ子ども向けの甘口、という感じです。 　SPAMは結構たくさん入っていました。沖縄ホーメル謹製のカレーだけに、ここは惜しんでいませんね。SPAM独特の、あの食感がちゃんと活きています。SPAM大好きな方には嬉しいカレーになっています。個人的には、SPAMは塩分が高すぎてなぁ……と思っていたのですが、このカレーに使われているSPAMは塩分も高くなく、美味しくいただけました。 　カレーは甘すぎたが、SPAMはそれなりに美味しかった……でも、一応カレーを食べているのですから、もうちょっとカレーが美味しいと嬉しいなぁ……といった感想です。今度これを参考に、自宅で作ったカレーにSPAMでも入れてみようかな……と思います。美味しかったらまたブログでご紹介しますね。 　ちょいまちさん、ありがとうございました！]]></description>
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		<title>尾去沢鉱山のこと。</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Aug 2010 07:37:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>くま社長</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史放談]]></category>

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		<description><![CDATA[　大変一般受けしなかった東北の歴史編は、今回で最後である。 　今回は多少妥協して、ちょっと有名人をゲストに招いてみたいと思う。井上馨である。 　長州藩の100石取り、井上家の次男に生まれた。100石というと、現代の金額に置き換えると年収400万円〜440万円に相当する。当時の物価相場はもっと安かったし、電気代や水道光熱費もないから、感覚的には大きな会社の役持ち程度の収入だったと見ていい。長州藩の中では大組といって、馬乗りを許された中の上程度の地位である。吉田松陰や高杉晋作、桂小五郎と同列であった。 　ただ、幕末の頃は例に漏れず苦しい経済事情になっており、田地もほとんど失ってしまっていたようである。かなり厳しい生活を強いられていた。 　この頃のことについて触れた多くの文献では、「貧しさの余りに農作業もやっていた」と書かれているが、それは間違いである。これを正確に知るには武士の発生理由を知っておく必要があるが、長くその地で暮らしている生え抜きの武士は、昔から伝統的に半農半士である。別に貧しいからではない。井上家は毛利元就が立身するきっかけを作った家のひとつで、長州藩にとっては先祖伝来功臣の家柄である。この地方では旧家なのだ。 　さて、その井上馨は維新運動の頃から抜群の資金調達力を発揮し、高杉晋作らのために大いに働いた。高杉は維新運動の頃、上海に留学したいと長州藩に願い出ている。了解を貰って品川に行くが、生来の遊び好きで品川でも神奈川でも女郎宿で遊び呆けている。公金使い込みだからエラいことだが、渡航費用は遊興費として消えてしまう。そこで井上は高杉のために何度も長州藩に掛け合って再捻出を成功させている。それでも次から次へと遊興費として消えていくが、高杉の遊興三昧は一向に改まらず、長崎でも女郎宿で怠惰な生活をし、結局中国には行かなかった。酷い話である。そんな高杉やその取り巻き連中を経済面で支えたのが、この井上馨である。 　彼のこの資金調達能力が買われて、維新後には大蔵大輔となっている。大輔は、最高位の大蔵卿（大久保利通）の下だが、岩倉使節団で大久保は離日していたから、事実上のトップであった。このころ、恐らく日本史上でも類例のない大規模な汚職事件が彼の手によって引き起こされたのである。 　今回は、そんなお話である。 　 　前回、戦国時代における南部氏の動乱についての文章を書いた。 　その際、九戸政実という人物があって、彼は元々大名と呼べるほどの独立した勢力であったが、南部晴政と語らって南部家の臣列に加わったと説明した。 　彼が南部家のために働いた大きな功績のひとつに、鹿角郡の占領がある。現在は秋田県鹿角郡であるが、この頃は九戸氏による軍事行動で鹿角郡は南部家の領土となっていた。江戸時代にもそれは引き継がれている。 　秋田県は、元々安東氏から分かれた秋田氏が支配していたが、秀吉の頃に減封、家康の頃になって茨城佐竹氏と領地交換ということになり、茨城県宍戸へ移封した。佐竹氏は80万石から20万石へと大幅に減らされて秋田県に移ってきた。この辺りのことは「秋田佐竹氏」で書いた。 　佐竹氏はただでさえ身代の大幅削減で苦しんでいた折であるから、鹿角郡が南部藩領になっているのにも随分苦々しい思いがあったようである。境目争いが厳しい状況下にあった。 　この土地を安全に支配し続けるのは相応の手腕が必要であるが、ここに北十左衞門という人物があって、彼が名乗り出て代官となった。 　北十左衞門は、元々南部家の重臣・桜庭家の次男であったようだが、同じく重臣であった北家の当主北信愛が死に、その養子となって北家を嗣いだ。 　この信愛という人物は、前回紹介した晴政の後継問題で、信直を担ぎ上げて藩主の座に据える際に大いに働いた人物で、この頃最も羽振りのよかったうちの1人である。 　十左衞門が鹿角郡の代官になって間もなく、その土地の土に砂金が混ざっているのを偶然発見し、密かに調査したところ、大規模な鉱山が眠っていることを発見した。『祐清私記』によると、領地問題を裁いてやった老婆から贈物として貰った山芋に砂金が付着していたので知れたという。ここから文字通り芋づる式に鉱山が発見され、鹿角郡は一大鉱山地帯と化したのである。 　 　東北地方がまだアイヌ人によって支配されていた頃……平安時代の頃だが、アイヌ人と大和朝廷の間には貿易関係があった。 　手先の器用な日本人は、漆器や織物といった商品をアイヌ人に売り、アイヌ人は精強な馬をよく産した。また、それ以外にも金はアイヌ人の主力輸出物で、これを用いて東大寺の大仏は作られたという。奥州藤原氏の建立した中尊寺の金色堂も当時の金産出が活発であったことを物語っている。 　このように、随分昔から東北地方は金鉱脈が多いことは知られていたが、安土桃山時代を過ぎた頃から採掘技術が一定水準に達して、金の産出は一気に増大している。佐渡島の金山はこの頃はじめて活況になっている。上杉謙信の頃はそんなに大規模にはやっていなかったのである。同様に甲州金山、伊豆金山などもこの頃になって大規模にやり出している。 　金というものは、ゴッツイ塊で採れるわけではない。砂金として集めたり、岩の中にごま粒や小石ほどの塊が混ざっていたりして、それをシアン化合物の水溶液に漬け、浮いてきたウワバミの部分を採集し、今度はそれに亜鉛を加えて不純物を分離させる……という流れで金塊を作っていく。だから人数も必要であり、各地の金山ではいくらでも人手を必要としたのである。家康は苦労した人生を歩んできたためか、とにかくお金大好きな人物である。金産出には大変な興味関心を寄せており、農民は無許可で土地を離れてはいけない規則があるが、金山働きだけは例外にするなどの措置を行っている。 　働き手が集まれば、そこに市が立つのは道理である。 　鉱山周辺には飲食店や宿屋、飛脚、または賭博場や女郎宿、劇場などの遊戯施設が建ち並んだ。特に興行回りの人々は盛んで、彼らのために鉱山町は夜も賑やかであったという。東北の人気のない山中に、日本有数の不夜城が現出したのである。僕は妻の両親に案内されて秋田県の銅山に行ったことがあるが、未だに営業中の劇場があって、そこで時代劇の人情ものが上演されていて、大変興味を持った。あれは一度じっくりと観劇してみたいと思っている。 　 　北十左衞門は、正式に鹿角郡を知行地として貰い、金山奉行となった。 　当時の金山奉行は請負制で、藩には決められた金を納めれば、余剰分は自分の収益として良いことになっていた。時代劇だと金山奉行は必ず汚職するものと相場が決まっているが、そんなリスキーなことをしなくても普通に大金が手に入る仕事である。北十左衞門はたちまち大金持ちとなった。 　この頃北家は長男十蔵、娘3人の家族となっていた。 　十蔵は見目麗しい美少年で、藩主である利直（前回登場した信直の子）から召し出された。寵愛一方でなく、16歳になっても元服を許されなかったという。要は男色の関係にあったわけだ。 　『祐清私記』によると、ある日の朝食の際、飯の中に小石が混ざっていた。汁物にも魚の骨が混ざっていたということで、利直は激怒した。十蔵に刀を渡し、料理番である吉田源助を無礼討ちにするように命じた。十蔵は早速厨房に行って源助を見つけるや、 　「上意である！」 　とかけ声一閃、ていやと切りつけた。まだ戦国の気風が濃い時代のことで、料理人といえど源助もひとかどの男である。 　「心得た！」 　と応じ、振り返りざまに十蔵を包丁で切りつける。源助は致命傷を負うが、十蔵もまた手首を切り落とされんばかりの深手を負った。 　厨房は大騒ぎとなった。 　十蔵は「上意、上意でござる。上意討ちにござる……」と息も絶え絶えに周りに告げ、報告あって駆けつけてきた利直を見ると、 　「果たし申し……」 　と告げ告げ、拝領の刀を返した。 　その時、利直がどのような心中であったかを伝えるものがないが、恐らく大いに動揺したのであろう。血に染まった現場に腰を抜かしたのかも知れない。急ぎ足でその場を立ち去り、「宿に下がれ！」と言ったために、十蔵は上意討ちで不覚を取ったことに利直が怒ったのだと周囲は理解した。やがて彼は実家に帰されるも治療の甲斐なく死んでしまうのである。 　北十左衞門はこの利直の態度を大変恨みに思った。悲しみの余りに出家しようとまでした。 　この時代、主君に断らずに勝手に出家して離職することは厳しく禁じられている。このことが利直に知れると、利直は烈火の如く怒り出した。 　「おのれ当てつけのようなことをしおって。閉門申しつける！」 　これが十左衞門の暗い気持ちに火を付けた。元はといえば16歳の子どもに無礼討ちをさせる利直が悪いのである。それを人情に遠いことばかりして、もう嫌気がさした、南部家のために働くのはたくさんだとばかりに、彼は突然南部家を立ち去り、そのまま高野山に入ってしまった。 　最初は恐らく高野山で十蔵の菩提を弔って一生を終えようという気持ちになっていたのだろうと思うが、この頃、大坂城の豊臣家が挙兵するとかで、盛んに勇士を募っていた。それを聞くにつれ、やがて南部家に対する仕返しを思いついたらしく、突然高野山を下り、国元から親戚を呼び寄せ、兵を募り、50人ほどの部隊となった。元々金持ちであるから、金に糸目は付けなかったようである。 　彼は南部信景と名を改めて大坂城に入城した。大坂城では名門南部家が大坂方に味方したと沸き立った。これにはさすがに家康も驚いて、伊達政宗に彼の身元調査をさせているほどである。彼の作戦とは、南部氏を名乗って大坂方に参陣すれば南部本家の立場が悪くなると計算してのことであるようだ。これは史書には何とも書かれていないが、前後にあった事実関係から、こうとしか考えられない。 　南部本家は出兵に大いに手間取って、随分遅れて大坂に到着している。命惜しさから逃散する者が多く、人数が集まらなかったらしいのである。以前書いた武田信広が割り当てられた下北半島の果て・田名部に住まうアイヌ人を動員してやっと人数を集めたというから、よほど苦労したのであろう。 　が、それを知ると十左衞門は射かける矢にわざわざ「南部信景」と書いて散々多数に放ち続けた。その数が余りに多いので、家康は相当腹を立てて利直に「お前の家以外に南部などという名字は知らぬ！どうなっているのか！」と叱責している。利直もひやひやものであったろうと推察される。 　皆さんもご存じの通り、大坂の陣は結局大坂方の敗北で終わり、十左衞門は逃亡中に身柄を拘束されて南部藩に引き渡された。もちろん死刑であるが、利直の狂わんばかりの怒りがあるため、死刑に際して指を1本1本切り落とされるという苦痛を味わう羽目となった。担当する武士の方が参ってしまったが、十左衞門は「しっかり切り落とせ！ 自分のじゃない、俺の指を落とすんだから！」と叱咤したという。 　 　そんな十左衞門一家が発見した尾去沢鉱山だが、間もなく金は枯渇し、以後は銅山となった。 　それでも奥州を代表する鉱山であることに変わりはなく、江戸時代を通して賑やかな場所であった。 　江戸時代のどの大名家とも同じように、南部藩もやがて財政が逼迫してきた。 　いつの頃からか、南部藩の御用商人であった村井家に冥加金を課して、その代わりに鉱山の採掘権を譲渡していた。 [...]]]></description>
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		<title>「田子にんにくカレー」（最強）</title>
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		<pubDate>Thu, 26 Aug 2010 04:19:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>くま社長</dc:creator>
				<category><![CDATA[レトルトカレー日記]]></category>

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		<description><![CDATA[　一昨日の朝、目が覚めたら視界がグルングルン回って、遠くに涅槃らしいものが見え、なるほど過労で人が死ぬ事ってあるんだぁ……という意識と同時に信じられない勢いで頭痛が襲ってきて、こりゃ本当にヤバイぞってんで、正直ある程度の覚悟をしたりしたわけですが、今朝になっても良い感じの疲労感が抜け切りません。 　こんな状況下でもカレーを食べるのはどうかと思わなくもなかったですが、食べた瞬間、ゲージがみるみる回復していくような感覚があって、今は一時的にせよ大変身軽な状況です。勢いに任せてレビューを書いてしまおうと思います。 　「田子にんにくカレー」が日本一美味いレトルトカレーであることは、よもや疑う余地はあるまい（断言）。これこそ日本一美味いレトルトカレーです、異論は許しません。大事なことなので2度繰り返しました。……カレーとしてのクオリティ、にんにくを活かしたアピール力、全体のテイストもレトルトの領域からは完全に抜けています。冗談ではありません。是非一度食べてみてください。 　僕がこの「田子にんにくカレー」と出会ったのは、確か3、4年ほど前、十和田湖畔の小さな土産物屋に偶然見つけたのです。洒落で購入して帰京後に食べてみると、ナニコレ！？無茶苦茶美味いやん！ ということになり、以後僕の中で憧れのカレー、燦然と輝く「田子にんにくカレー」なのです。 　ご当地カレーは、その土地その土地の名産物を取り入れて作られます。しかし、カレー自体が無茶苦茶まずいものや、具として参加している名産物が全然活かされていないもの、残念な結果に終わっているレトルトカレーが大多数で、寂しい思いをしています。そんな中で青森県はなかなか健闘しているので好感が持てるのですが、この「田子にんにくカレー」は、その青森県カレーの中でも頭ひとつ抜け出ているようなところがあって、僕は大変素晴らしいと思うのです。収穫量日本一の田子産にんにくをカレーの中に盛り込み、ちゃんとにんにくをアピールできている点、カレーもよく煮込まれていて、カレー自体も大変美味しくできている点、実に素晴らしいと思うのです。 　缶詰なので、開封して容器に移し替えてチンするか、鍋に移して暖めるか、このとき、あんまりカレーをかき混ぜるとにんにくが崩壊してしまいます。口の中で溶けるような柔らかなにんにくです。 　まずカレー。 　カレーはよく煮込まれていて、甘みのあるフルーティーなカレーです。辛いばかりがカレーじゃないことを理解させてくれる、実に高度なカレーです。レトルトどころか、家庭のカレーでもこのレベルは普通には作れません。正直、作り方を教えて欲しいくらいです。 　パイナップルやマンゴーチャツネが隠し味に入っているようですが、この甘みだけでない、じっくりと作り込んだ野菜の甘みが生きています。かなりこだわった作りをしているようです。 　具は丸ごとにんにくと牛肉。 　にんにくは1片丸ごと入っています。4、5個は入っているでしょうか。口の中で溶ける、実に美味しいです。疲れた身体にダイレクトに染み込んでいく気分です。匂いも相応にしますが、思ったほどキツくありません。適度なアピール力です。 　牛肉もケチなものでなく、ゴロッとした感じで入っています。やや脂身が多いですが、にんにくと合わさって悪くない味わいです。美味しくいただけます。 　全体として、最もバランスが良く、分量も満足のいく、素晴らしいカレーだと思います。特に難点を揚げることができません。 　……んー、強いて言うなら、調達が難しいこと？ それくらいでしょうか。 　本当を言うと、カレー仲間であるちょいまちさんにもお送りしたかったのですが、残念ながら入手できたのが1個だけだったので…残念。また次の機会……いつになるか分かりませんが、見つけ次第に購入したいと思います。 ごちそうさま！]]></description>
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		<title>クレールフォンテーヌ ベラム紙を試筆してみました。</title>
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		<pubDate>Tue, 24 Aug 2010 03:16:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>くま社長</dc:creator>
				<category><![CDATA[身の回りのモノたち]]></category>

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		<description><![CDATA[　先日、当ブログに遊びに来てくださった“栃木のおっちゃん”氏からいただいた情報で、「クレールフォンテーヌのノートがいい感じ」というお話だったので、気をつけて見ていました。クレールフォンテーヌは、フランスの紙文具メーカー・クオバディスの派生ブランドらしいので容易に見つかるだろうと思っていたのですが、案外入手が困難を極め、ほとほと参っていたのですが、とある筋からクレールフォンテーヌが誇るベラム紙の試筆紙を入手できたため、今回早速試してみました。 　クレールフォンテーヌが製造したベラム紙は、サテン系のサラサラ、ツルツルとした紙質、濁りの少ない白色が特徴的な紙です。聞いたところによると厚さ90gなので一般的なノート紙より厚口なのですが、実際の試筆紙を触る限りそんなには厚さを感じません。しなやかな紙質のようです。 　早速万年筆で書いてみましょう。 　ペリカン スーベレーン M800の3Bで書いてみると、凹凸の少ないツルツルとした当たりが実に素晴らしく、LIFEのノーブルパッドやリスシオ系の書き心地です。スルスル、ヌラヌラな書き心地です。森山モデルの3Bなのでインクの流出量は大変多いのですが、ベラム紙はその厚さで受け止めてくれます。滲むかなぁ……と思いましたが、滲みもほとんどなく、紙に白さがあるので濃淡の映えも美しいです。 　M405のMで書いてみると、今度はサラサラ……というややしっかりした書き心地。厚口なので安定感が良いということですね。これはこれで悪くありません。カッチリ書いておきたいという用途でも、この紙のノートなら十分応えてくれそうです。 　最近購入したパイロットカスタム823のフォルカンでも、厚口ならではの安定感、表面のツルツル感のお陰で引っかかりも少なく、書いていて大変気持ちが良いのです。さらにレシーフのクリスタル万年筆も試してみましたが、悪くない書き心地です。 　大きいニブなら滑るような書き心地を、小さいニブなら安定感のある書き心地を、これは予想以上に良い紙のようです。 　裏面を確認してみると、ほとんど裏抜けは確認できませんでした。 　ペリカンの3B（ターコイズ）とM（ブラウン）はペリカンのインク、 　パイロットカスタム823はパイロットの色彩雫の深緑、 　クリスタル万年筆はエルバンのビルマの琥珀を用いていますが、どれも明確に抜けたものはありません。パイロットインクだけ、肉眼でほんのちょっと、1mm以下ですが1点だけ抜けました。パイロットのインクは他のインクと比較して抜けやすい傾向があって、これはやむを得ないかな、実用には関係のない程度です。 　エルバンのインク……“ビルマの琥珀”は元々インクの乾きが遅い特性があるのですが、この紙においても5分以上放っておいても僅かに紙の上にインクが残っていました。ブロッター必須。 　写り込みについても、気になるような写り込みはないので、ノートとして両面に書き込んでも問題ありません。個人的にかなり高評価…… 　 　書き心地も一級品、目立つような弱点もない、これは惚れるなぁという気持ちなのですが、一点だけ。 　罫線が幾らかインクを弾くようです。そんなに気にしなくても……という程度のことですが、ツバメノートのように水性インクで罫線を引いているブランドもあることなので、一応押さえておきたい部分です。コスト面の噛み合いでそうなっていると思うのですが、惜しいと言えば惜しい部分でした。 　良い紙と出会えました。機会があれば、この紙のノートも是非使ってみたいです。]]></description>
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		<title>1Password</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Aug 2010 06:31:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>くま社長</dc:creator>
				<category><![CDATA[デジ・モノ]]></category>

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		<description><![CDATA[　ネットのサービスが増えれば増えるほど、ユーザIDとパスワードの数は増えていきます。 　そして、増えれば増えるほどその管理は繁雑を極めるようになり、多くの場合、どこのパスワードも全部一緒のものを使うとか、ブラウザに保存してしまって覚えてないか、だいたいそんな感じになってしまいます。 　このパスワードを管理するという部分において現在考え得る最強の方法は、恐らくこの1Passwordを使うことだろうと僕は思います。最近はWindows版も出たというので、Windowsユーザの方も是非ご覧ください。 　 　パスワードの管理上、同じパスワードで統一するのは危険です。 　万が一にも漏れてしまった場合、全てのサービスに影響する危険性があります。「自分のは漏れても大丈夫。大した情報がないから」というのは僕も耳にタコができるくらいよく聞くのですが、被害があると一番取り乱すタイプです、経験上。 　ブラウザに保存するのは、まあ、それよりマシなのですが、たとえばGoogleのGmailアカウントを保存する場合、まず1種類のアカウントしか保存できません。仕事用・個人用でGmailに2つアカウントを持っている人は、どちらか1つしか保存できないのです。また、Gmailにログインする入り口は実は結構たくさんあるのに、URLが微妙に違うだけで反応がないのです。しかも、複数のパソコンで共有することは難しい…… 　 　そこで1Passwordです。 　たったひとつだけ、パスワードを覚えておいてください。それだけで十分です。 　1Password用のパスワード1個で、あとのあらゆるサービスは全て1Passwordが覚えています。パソコンの起動後、1度だけ1Passwordのパスワードを入力すればロック解除、あとは1クリックで全てのサービスにログインできるようになります。素晴らしい！ 　「でも、アカウントごとに違うパスワードなんて思いつかないよ！」 　OK、ちゃんと準備されています。 　1Passwordには「Strong Password Generator」という機能が搭載されていて、パスワードの文字数などを設定してやれば、セキュアなパスワードを自動生成してくれます。これで問題解決です！ 　「でも、そんな複雑なパスワード覚えていられないよ！もし忘れたら困るだろう！」 　んー、僕も最初は不安でしたが、1Passwordは自宅のパソコンと事務所のパソコン、またはiPhoneやiPadといった携帯端末まで、パスワードを手軽に共有できるのです。最近ではWindows版も公開されており、1Passwordを導入できる環境は大変幅広いのです。まあ、さすがに他人のパソコンで……となると無理ですが。とっても重要なものだけ覚えておけば良いんじゃないですか？ 　「共有って危なくないの？」 　共有の方法はユーザ側に任されています。暗号化されたパスワードのデータファイルを、たとえばInternet Diskのような共有サービスに放り込んでおく。これだけで共有化は成立します。パスワードのデータファイルは暗号化されていますし、まず滅多な方法では解析は無理です。 　MacでもWindowsでも使える無料サービスでは、DropBoxに潜ませるのが有名な方法。 　DropBoxはこれまた1記事独立して書けそうな優秀なサービスで、パソコンの中に「Dropbox」というフォルダを作って、その中にデータを放り込んでおくと、ネット上にあるサーバにミラーリングしてくれるというサービス。同じアカウントでログインすれば、どのパソコンでもデータを共有できます。ネット上のハードディスクにコピーを置くというイメージ。 　このDropBoxにパスワードファイルを置いておけば、かなり広い範囲でパスワードを共有することができますよ。 　「でも、1Password自体が壊れたら最後じゃないか！」 　そこで必要なのですよ、これが。 　「1Password自体は大丈夫なの？」 　かなりの頻度でアップデートされていますし、元々Macの標準セキュリティシステムである「キーチェーン」をベースに、その機能を拡張しているものなので、大変安全性は高いと思います。キーチェーンはMobileMeを使えば複数のMacで共有化できる点に優れているのですが、Windowsとの共有はできないし、iPhoneやiPadとも共有できません。機能拡張版の1Passwordに1日の長があるようです。 　 　ちなみに1Passwordにはさらなる機能があります。 　1Passwordの恩恵は、主にブラウザ経由でログインするサービスを利用するときに得られるのですが、たとえば外付けのハードディスクなどのファームウェアにログインする場合や、独立したアプリケーションを起動した際にログインを求められる場合などは、ワンタッチで、というわけには行きません。 　1Passwordにはメモ機能が搭載されていて、様々なメモを保存し、暗号化できます。ファームウェアのアカウント情報や各種ソフトの覚え書き、携帯電話絡みのアカウント情報など保存しておけば、いちいち個別管理せずに済んですごく便利です。メモ機能は画像やら色々添付できるので、パソコンに関係なく秘密情報をガシガシ詰め込めますよ。 　さらにアプリケーションのシリアル番号なんかも保管する専用カテゴリが設けられていて、ここにアイコンをドラッグすると、ちゃんとそのアプリケーションのアイコンが表示されます。良くできています。これでソフトごとにシリアル保管しなくてもう大丈夫。シリアルのコピーもワンクリックでいけます。 　それともうひとつ。登録情報用のフォームも用意されています。「姓」「名」「ふりがな」「住所」……通販サイトを利用する場合など、細々と書いていかないといけませんが、1Passwordなら事前に用意だけしておけば、1発入力可能。結構便利です。 　 　もうひとつ地味に気に入っているのが、環境設定。 　Generalのタブで、1Passwordのメイン画面に表示させる項目をON・OFFできます。 　標準の場合、「メモ機能」「クレカ情報」「ソフト情報」「個人情報」……といった専用カテゴリが用意されていますが、別にクレジットカードの情報まで覚えさせる必要はない、という人も多いはず。そんな場合はこのGeneralで「Wallet」のチェックを外してやれば、メイン画面上は非表示になります。 　そういうのが気になるA型タイプの人は、是非この機能で「使っていない邪魔なカテゴリは消す！」をお試しくださいな。 　 　このように、1Passwordは大変優れた管理ソフトです。 　セキュアで、手軽で、汎用性も高い。ただし、有料で、しかも英語版。英語と言っても難しいことは特にないと思います、なんたって僕でも理解できますから。あとは有料の部分だけ。個人用途なら4,800円です。ファミリアカウントは6,000円程度。Windows版は現在50%オフとのことで、お買い得です。 　Mac版の個人用は「act2.com」にて販売中です。それ以外のバージョンはたぶん海外サイト本家のみで販売されています。別にクレジットカードあれば買えるし、英語だってそんなに難解には書かれていないから、思い切って買っちゃえ！ 僕は本家で買いましたよ！ 　お奨めなソフトです。是非皆さんもお試しください！]]></description>
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		<title>奥州南部氏と大浦為信</title>
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		<pubDate>Thu, 19 Aug 2010 04:21:39 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[歴史放談]]></category>

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		<description><![CDATA[　戦国時代も終わりの頃の話である。 　岩手県の東北部、太平洋に面したところに久慈という土地がある。古くから琥珀が採れる場所で、この地で産する琥珀を特に久慈琥珀と言い、南部氏の主要な産物のひとつに数えられた。この地を領有するのが久慈氏といって、南部氏庶流の末であった。久慈治義には2子あって、兄を信義、弟を為信といった。 　この2人の兄弟は異母兄弟であり、それが原因で弟の為信は家を飛び出し、津軽の大浦平蔵という人物の元に身を寄せた。大浦氏は弘前市の周辺を領有する豪族で、どうも久慈氏とは親戚の関係だったようで、やがて大浦氏の養子となり、大浦為信と名乗った。 　 　この時代の南部家当主は、猛将と知られた南部晴政である。最も南部氏が伸張していた頃の人である。しかし、この頃は老年に至っており、既に陰りが見えつつあった。当時、津軽地方の目代であった南部高信が死に、子の信直・政信が後を嗣ぐことになったのだが、その際、晴政は兄の信直を手元に招き、弟に目代職を継がせた。 　この辺りの事情は実はもっと複雑で、晴政には子がなく信直が次期南部本家の当主になることが決まっていた。ところが晩年になって子を授かり、晴政は信直を疎んじるようになった。信直は自ら当主の座を明け渡したが、請われて後見人として側近くに仕えるようになったが、安心できない晴政は信直を暗殺しようと画策する……という暗殺陰謀説が現在でも言われている。僕はその説を信用しない。この説の根拠になっているのは『八戸家伝記』や『根城南部系図』などという地元の史書だが、どうも信直を持ち上げすぎているきらいがある。後で説明するように、信直は余り賢い人であるようにはとうてい思われず、どちらかというと中の下、知謀の低い人だった。これだけ派手な不和があれば、とうてい生き残れる才覚を持っているとは思われない。また、信直の父・南部高信は、晴政の弟であり、随一の重鎮でもある。幾ら一粒種の可愛い子だとしても、そうも露骨に近い親戚の子を殺せるだろうか。背後関係も含めて考えるとちょっと怪しまねばなるまい。 　これは僕の推測であり、全く検証が甘いものではあるが、ひょっとして九戸氏が関わっているかも知れない。 　南部氏は晴政の代に勢力を伸張させた。北は津軽郡、南は北上川周辺まで領有した。その時まで、同じ南部氏ではあるが、九戸氏は独立した大名であった。それを晴政は九戸氏と語らい、家臣の列に加わることとなった。晴政にとっては、九戸氏に多少なりの遠慮があったのかも知れない。少なくとも九戸氏は晴政にそれを求めた。だから晴政が死に、その子もすぐに死ぬと、九戸氏こそが次代の主であると実際に主張している。ひょっとすると、晴政も黙認程度はしていたのかも知れない。 　信直はそのことで晴政に深い疑いを持っていた。彼の脳内では、晴政と九戸氏は共謀しているように思えたか、または実際そうだったのかも知れない。実際、晴政の墓は見つかっておらず、ただならぬ深い怨恨を感じないでもないのである。 　九戸氏の事は後ほど触れる。今は、とにかく南部高信の2子がそれぞれ次期当主の座、目代の座に就いたことを理解しておいていただきたい。 　 　さて、目代となった弟・政信は浪岡に依り、補佐役として汗石氏、大光寺氏、そして大浦為信を任命した。ところが汗石氏は間もなく死に、残った大光寺正親と大浦為信がお互いに覇を争って権力争いを始めた。まず為信は自分の娘を目代政信に献上し、その権勢を拡大しようと手を尽くした。可愛い女の父親である、政信は自然為信と親しくなり、大光寺家は徐々に力を殺がれていった。 　さらに追い打ちをかけるように、為信は、大光寺正親が謀反を企んでいるという噂を流し、政信の耳に達するように仕向けた。もちろん政信は怒り、ますます為信に信頼を寄せるようになる。正親は身の危険を感じ、病気を理由に出仕を控えるようになった。 　出仕を控えた、という事実が謀反疑惑の裏付けにもなる。ついに政信は為信に兵200を授けて討ち手としたが、この時は大光寺氏も家を挙げて手向かったので、なんとか為信を撃退することに成功している。しかし、討ち手を退けた以上謀反は明らかだと言われかねない。正親は密かに領地を抜け出し、秋田県は大館市の五十目兵庫（五丁目氏、五城目氏ともいう）の元に身を寄せた。これで津軽地方は実質為信の天下となったわけである。 　ところが間もなく、大光寺氏謀反が為信の讒言であったことが政信に感づかれてしまった。 　為信は一時病気と称して出仕を見送り、その裏で今度は九戸氏と手を結ぶ。 　先に書いたように、九戸氏は晴政の代で合併するまでは独立した大名であった。家中でも大きな勢力である。ところが、信直に当主の座を奪われてしまって面白くない、鬱々として日を送っていた。しかも先頃晴政とその子も死に、いよいよ本当に信直が当主の座に就いたから、その不満は頂点に達しているところであった。九戸家の当主は九戸政実、猛将として知られた人物だが、知謀にも優れ、そのことからも信直より自分の方が、と思わずにはいられなかったであろう。 　為信は九戸政実と語らい、固く陰謀の手を結んだのである。 　こうして後ろ盾を手に入れると、今度は政信に対し病気平癒を報告し、快気祝いと称して城内で宴会を催したいと願い出た。 　怪しむべき男ではあるが、既に津軽は為信の息が掛かってしまっている。無下に断ることはできない状況であった。 　早速城内で宴会の支度が調えられた。料理は妻と為信が行い、毒味は政信に差しだした娘が行うこととなった。 　まずは何事もなく宴は果てたが、翌日の朝、娘が苦しみだして息絶えた。相伴の者も相次いで死んでしまった。 　さらに為信の妻も死んでしまう。さらにその数日後、ついに政信までもが苦しみぬいて死んでしまった。 　ちょっと不審に思うのは、そんなに長期にわたって影響の出る毒薬なんかあるのだろうか……ということ。飲食後1週間以上経って毒の効果が顕れるなどというのは考えにくい。別の史書によると攻め殺されているが、ひょっとするとそれが正しいかも知れない。 　政信の兄であり、今や南部本家の当主になっていた信直は、為信を呼びつけて尋問しようとした。しかしそこにノコノコ出かけていくほど為信は愚かではない。彼は病勢募って出仕できないと回答している。信直は、仕方なく3人の代官を選抜して津軽に送った。 　 　為信は農民らと語らって、新しく赴任してきた代官への不平不満を煽動させたようである。 　派遣されてきた3人の代官は至って評判が悪く、暴悪だったとされる。不穏な空気の漂う津軽地方にそんな人材の派遣をするわけがない。為信の煽動によるものと見ていい。 　農民らの不満がある程度高まってきたところで、 　「津軽の平和のため、悪代官を排除する」 　という大義名分を立てて、為信は軍を率いて浪岡城へ攻め込んだ。為信の反逆の始まりである。 　驚いた南部本家では、慌てて兵を大光寺正親に授け、討ち手として遣わした。大光寺正親は、為信の讒言のために大館に逃げ込んだ後、五十目氏を説得して南部家に寝返らせ、その功あって帰参がかなえられていたのである。恨み重畳、大光寺軍は浪岡救出に馳せ向かった。 　ところが時遅く、大光寺軍が到着した頃、既に城は落ちてしまっていた。百姓らも為信の味方をする。散々な目にあって引き上げざるを得なかった。 　信直もまた自ら軍を率いて浪岡へ向かう事になっていた。ところが九戸政実は病気を理由に参加しようとしない。九戸氏が自分を大いに嫌っていることは、さすがの信直も十分承知している。最悪背後で兵を挙げられたら壊滅は免れない。信直の軍勢は七戸まできて立ち往生してしまった。そこへ大光寺軍が敗退してきたため、諸豪族の動揺も大きく、結局信直軍は本拠に帰らざるを得なくなってしまった。この辺りに、僕は信直の戦国武将としての器量が小さすぎるのを見ている。 　ちょうどその頃を見計らって呼応するように、秋田氏が大館奪還の兵を挙げた。大館はたちまち陥ってしまった。秋田氏は前回登場した武田信広の友人・安東政季の安東氏から分かれた一族である。当時秋田の大部分を領有する一族となっていたが、後に秀吉の不興を買って秋田市周辺5万石に減じられ、家康の頃に佐竹氏と交換で茨城県宍戸に配置換えとなっている。 　為信の反乱、秋田氏の挙兵、この機を見て九戸政実も明確に反旗を翻した。九戸氏は南部家の精鋭部隊である。勢い猖獗を極めた、と『寛政重修諸家譜』にある。さらに九戸氏を支持する久慈氏、七戸氏などもこの反乱に加わった。久慈氏は為信の実家であり、久慈氏は元々七戸に住まっていた。要は為信の周旋であろう。 　北西は為信、北東は九戸政実、西には秋田氏に囲まれ、南部氏は完全に居すくんだ状態となってしまった。 　 　さて、この頃、前田利家から東北の各家々に書状が届けられた。秀吉の天下が決まったので、争いをやめて臣従せよというのである。 　信直はこの状況下にあって、まるで身動きが取れずにいた。つくづく後手後手に回る男である。信直はここでグズグズしていたがために津軽を失うのである。 　一方の為信はこの手紙を読むと、素早く津軽を発って小田原へ行き、早速臣従の申し入れをして津軽の領有権を認めてもらった。 　その後で信直もやっと人を遣わして臣従の申し入れをしたのだが、津軽を除く領地の安堵状しかもらうことができなかった。もちろん抗議したろうが、 　「すでに為信のために津軽の領有を認めてしまった。諦めてくれ」 　というわけ。 　信直は南部家中興の人、とWikipediaには書かれているが、どうもこの人はバカじゃないかと思う。今まで見てきた事の流れも、あらゆる対策が後手後手に回った結果ますます酷くなっていく様子がよく表れているし、軍を率いてもグズグズして形勢が定まってしまい何もせずに引き上げているなど、所詮、為信とは格が違いすぎたのではないか。この後、秀吉とは直接会津で面会しているようだが、その会津入りも不安で仕方なかったらしく、領内各要所に兵を込めてからやっと会津に向かっている。天下人が奥州に来ているこのタイミングで兵を動かす者などいるはずがないのを、全く理解できていなかったのである。 　九戸政実の反乱は、その後、秀吉の遣わした蒲生氏郷、浅野長政らに大浦為信なども加わった連合軍により壊滅・鎮圧されている。為信は斎藤道三や松永弾正のような大物ではないが、戦国時代の奸雄らしく利用できるものは何でも利用し、用がなくなれば躊躇せず切り捨てるタイプの人物であったことがここからも窺い知れる。 　大浦為信、名を改めて津軽為信と称し、江戸時代まで津軽藩として栄えたその礎を築いた人物である。 　 　僕は先日、縁あって津軽に行ってみた。 　津軽人は大変開明的な人々で、商売熱心であった。五所川原、浪岡などにも行ったが、全体的に雰囲気が明るく、とても好感の持てる町だった。 　当時から津軽は東北有数の美地であり、石高も津軽一郡で30万石に少し足りないくらいである。秋田県全土が20万石（実質35万石程度）だったと言うから、その豊かさが窺い知れる。為信の影響を受けた部分もあるのかも知れないが、津軽人は大変おおっぴらで人嫌いしない性質の人が多いようで、観光客にはどんどん話しかけてくる人が多い。僕の妻も地元の人に（何の脈絡もなく）いきなり観光案内された。そういう風土のようである。 　津軽地方では立ちねぷた、というお祭りが催される。ねぶたは横長、立ちねぷたは縦長の巨大な張り子人形が練り歩く勇壮な祭りである。 　博物館を内覧して勉強させていただいた限りでは起源説にも多々あったようだが、分布図を見ると青森県でも津軽地方に多く集中しており、恐らく津軽為信が始めたものではないかと僕は考えている。 　秀吉は大変派手好きな性格をしている。為信ほどの謀略家、情報通の人物が、秀吉の性格分析をしていなかったとは考えにくい。大地震で倒壊してしまったが、秀吉は東大寺大仏以上の大仏の建立にも着手していたほどである。立ちねぷたを始めたのはその辺の頃だったのではないだろうか。 　それだけに、美地である津軽地方を失った南部氏の怒りは想像を絶するものがあったろう。 [...]]]></description>
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		<title>「ほたてカレー」</title>
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		<pubDate>Tue, 17 Aug 2010 05:07:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>くま社長</dc:creator>
				<category><![CDATA[レトルトカレー日記]]></category>

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		<description><![CDATA[　はじめから言っておくと、この「ほたてカレー」は、僕的に日本で2番目に美味いレトルトカレーです。実は数年前に一度食べています。当時は中辛で、これだけ美味しかったから辛口欲しいなぁ……と思っていたところ、青森県五所川原市にある立佞武多の館、という博物館の1階土産物コーナーに置いてあるのを発見、込み上げるものを必死に押し殺しながらレジに向かいました。 　はい、これがほたてカレーです。 　ベビーホタテがたっぷり入っており、どこを食べてもホタテに当たる、といった感じです。 　身の縮まった、よくあるレトルトカレーのそれとは違い、本当にベビーホタテが柔らかく入っています。貝ヒモの食感もナイス。 　カレー自体もクオリティは高く、レトルトというより、家庭で作ったカレーに近い感じ。全然レトルトの風味がありません。実に素晴らしい！ 　よく煮込まれていて、コクも深い。ほたてカレーの割にシーフードさが主張されすぎておらず、カレー全体がとてもよくまとまっています。 　辛口だけに、結構辛めな味わい。普通の人でも食べられる程度ですが、辛すぎて味が分からないより、ずっと良い。 　分量も220g。「大馬鹿ヤローカレー」「ハタハタカレー」と同量のはずですが、ほたてカレーは不思議とちょうど良いくらいの分量でした。ちょっと不思議。 　全体を通して見て非の打ち所がほとんどない、完成度の極めて高いカレーです。 　青森県のアンテナショップが新富町にあると聞きました。銀座の東側です。 　ひょっとすると、ここでなら入手できるかも知れません。近いうちに行って確かめてこようと思っています。うまくすると、ちとせフーズのカレーもラインナップされているかも〜。 　素晴らしいカレーでした。 　青森県は本当に当たり率が高い。残すところあと1種類ありますが、こちらは……いや、取っておきましょう。 　ご期待ください。]]></description>
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		<title>終戦記念日特集・世界史を復習する</title>
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		<pubDate>Mon, 16 Aug 2010 12:18:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>くま社長</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史放談]]></category>

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		<description><![CDATA[　歴史とは、人間の心の歴史だ。人の心は複雑で、積み重なった幾つかの“経験”が、彼をして次の行動を起こさせる。 　決してひとつの出来事が歴史の原因になるわけではないのである。 　そんなことを踏まえて、今日は先の大戦について考えてみたい。 　 　日本でもヨーロッパでも、絶対君主的王権が確立するのにはずいぶん時間が掛かった。 　たとえば美濃には斎藤道三があって、その領内の東は遠山家や可児家、西には稲葉家や安藤家、氏家家などが領地を持っている。道三は美濃地方の武士たちの旗頭であり、戦時には領内各地の武士たちが兵を率いて城下に集まってくる。戦国時代の大半の国では、大名といわれる人々はその領国の盟主であった。 　盟主は絶対権力者とは言えない。主君の不興を買って切腹を命じられても、潔く腹を切る者など当時はごく少数の、それも止まれぬ事情があった場合に限られていたし、主君もそこまで強く出られる者は滅多にない。主君の命を奉じて粛々と腹を切るなどというのは、江戸時代に儒教思想が定着してからのことである。 　ヨーロッパもだいたいにおいて同じで、たとえばフランスには王様がいて、国内各地には諸侯が領地経営をしていて、王様は絶対権力者ではなかった。 　この王様に絶対権力が付与されるのに大いに貢献したのが、大航海時代であった。 　大航海時代は、キリスト教文化がヨーロッパ中に張り切っており、東にはアラブ世界があって進出できず、勢い大西洋の向こうへとビル風の如く吹き抜いていったこと。インドで採れるスパイスが当時薬膳効果を期待されてヨーロッパでは需要が高まっていたのに、中間のアラブ諸国がその権益を独占していて、だったら海を渡って直接仕入れに行こうと思い至ったことなど実に複数の理由があって始まったことだが、インド航路の発見、新大陸の開拓、植民地の経営などによって莫大な富を手に入れたのは、各国の王様であった。この経済力を背景に、王様の権勢は確立していくのである。 　また、キリスト教も一気に広まった。その勢いは日本にまで広がっていたことは、戦国時代に細川ガラシャ、大友宗麟らが誕生したことと併せれば理解できるはずだ。キリスト教の布教は、一面、ローマ法王庁の権力拡大にも繋がる。このローマ法王庁と、経済力を背景にした各国の王様が結びついて、王権は神から与えられたものだとする王権神授が説かれ、ここに絶対権力者としての王様が誕生するのである。 　こうして国威が張り切ったヨーロッパの国々は、世界中に植民地を有するようになる。 　植民地では安い賃金で現地人を使役し、大量にスパイスやコーヒー豆、生糸などの1次産業物が入手できるようになった。 　これを本国に持ってきて加工していくわけだが、必然これらを加工する分野にも効率化、大容量化を求められる。ここに産業革命が勃興した。 　産業革命により、機械、工場、大量生産、統一規格と文化を急速に発達させていったヨーロッパ諸国では、モノが溢れるようになってしまった。 　売る先を開拓しなければならない。 　この当時が、いわゆる明治維新である。アメリカや西洋諸国は、日本や中国に開国を迫ったが、これは征服の意図より販路開拓の意図の方が濃厚であった。井伊直弼が和親条約と同時に通商条約も結んでいることから明白である。当時日本は幕府側にフランス、薩摩や長州にはイギリスが付いており、特にフランスは幕閣の小栗上野介を通じて合弁会社の設立や、融資の画策に相当動いている。イギリスも薩摩にかなり肩入れしようとしており、西郷隆盛が「日本のことは日本人がケリをつけねば、異国の人々に顔向けできもさん」と断っている。 　 　この一連の時代の流れに取り残されたのが、ドイツとイタリア、そして日本である。 　ドイツは東欧と西欧のちょうど国境であり、アラブ勢力の防波堤的役割を担っていた。そのため国内諸侯はみな精強で、それぞれ威を張っていた。国王としても大航海時代に専念する余地があまりなかった。 　イタリアは地中海貿易でどの家も大きく儲けており、現状に満足してしまったため、外海にうって出る機会を逸してしまっていた。従って統一政権の樹立にも遅れが生じ、大航海時代に乗り遅れることになってしまった。 　日本は徳川時代を通じた鎖国政策により、余りに海外の情勢に疎く、完全に乗り遅れてしまった。維新後も国内不安定で海外へ伸びていくのは随分後、欧米諸国が帝国主義時代に入ってからであった。 　この乗り遅れた3国が手を結んだのは、ある意味必然といえる。「俺たちにも分け前をくれ」というわけである。彼らが海外に乗り出した頃には、既にめぼしい国は植民地化されていて、ヨーロッパの国々も既得権益を守ることに必死である。石油を産することのできない日本が石油のある国を植民地化することは望まない。販路を維持するためには、日本は開国以来の土地だけで満足すべきだというのである。 　アメリカもどちらかというと、こちら側にある。1783年に独立したとき、イギリスでは産業革命が始まっていた。1854年にペリーが太平洋を越えて日本に来た頃には、既に植民地はほぼ固定化していた。“最後の分け前”と目されていた中国に手をかけようとしたとき、同じく乗り遅れた日本との間にあつれきが生じないはずはないのである。 　 　この時代、多くの国が「食う側」「食われる側」「食いっぱぐれた側」に分かれていた。 　日本は食いっぱぐれた側で、中国や朝鮮は食われる側だった。 　食いっぱぐれた国は、他にもいくらでもある。ただ、日本は食いっぱぐれたのに無理して食おうとしたから、このようなことになった。もちろん、当時の極東において食うのを諦めていれば、結局食われる側に回っていたことは明らかなので、そうせざるを得なかったことは事実にしても、だ。 　分かりやすく言ってしまうと、そういう時代だったのである。ここに誰の責任もない。 　先の大戦は、溢れかえったモノを大量消費する戦いである。積年、一生懸命こしらえたパイを投げ合うようなものだ。結果、戦争が終わってみると勝った国も植民地を維持できるだけの国力はなくなり、結局先の戦争で得られたのは、「食われる側」の解放であったと言っても言い過ぎにはなるまい。 　中国や朝鮮は、その細部まで突き詰めていくと、清朝や李朝の腐敗政治があって、維新運動もあり、その中で日本の侵略もあったことは事実であるが、大局的に見れば食われる側に回ったのがケチのつきはじめであった。日本も小栗上野介の言いなりになって、フランスの資金援助や武器供与が実現していれば、恐らく食われる側に回っていたかも知れない。薩摩藩に西郷がいなければ、イギリスとフランスによって分割統治されていたかも知れない。我々も、彼らも、この歴史からこそ学ぶべきであろう。未だ向こうでは反日教育が続いていると聞き、日本人として不快を感じないこともないが、反日教育が将来彼らをして収穫しうる実になることはない。その点で日本は安心して良い。 　 　中国や朝鮮の人たちにとってはもちろん、日本人にとっても終戦記念日は尊い。嫌な夜が明けた記念すべき日である。 　この間違いに対する反省の弁を日本人として常に表明していくことは、国民の義務であると僕は思う。これは中国や朝鮮から求められてすることであってはならない。自発的に反省し、次に活かすことが大切であろう。そうでなくてはならない。このことが不十分だと、やはりいつかは同じ事を繰り返すことになってしまう。それでは僕らのご先祖様に申し訳が立たないとは思えないだろうか。]]></description>
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		<title>パイロット万年筆 パイロットカスタム823 フォルカン</title>
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		<pubDate>Sat, 14 Aug 2010 02:01:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>くま社長</dc:creator>
				<category><![CDATA[こだわりの逸品]]></category>

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		<description><![CDATA[　以前、「帳簿式3年日記帳」をご紹介したあのアサヒヤ紙文具店さんへ行ってきました。 　実はアサヒヤさんで扱っているパイロットカスタム823のフォルカンが気に掛かって仕方がなかったので、ついに猛暑の中も顧みずお店に直接お伺いして、その書き味を確かめてこよう、確かめないと気が済まないという気になって、先日8月10日に訪問させていただきました。 　823の素晴らしさ、仕様の詳細については、アサヒヤさんのWebページが最も雄弁に語っています。僕が改めて語る必要性はないと思うので、アサヒヤさんのパイロットカスタム823の紹介ページをご覧ください。 　店主の萩原さんは、大変気さくな方でした。 　お店に入って、「パイロットカスタムの823 フォルカンを拝見したいのですが」と告げると、笑顔で気安く応じてくださいました。 　理想的な万年筆のお店である条件、テーブルと椅子はお店の中央にあって、席を勧められてそこで試筆できます。 　試筆紙は2種類。LIFEと満寿屋の試筆紙でした。紙文具店の看板を掲げるだけありますねぇ。 　早速書いてみようと万年筆を手に取ると、気持ちしっとりとした手触りのように感じました。後で調べた限り、使われているのはアクリル系樹脂のようで、これはペリカン万年筆と同じはずですが、厳密な組成は違うのかも知れません。萩原さんも「透明はまたちょっと手触り違う」というようなことを話しておられたので、僕だけが感じることではないと思います。このしっとり感は意外なほどペンの持ちやすさに影響しているみたいで、手に馴染むというか、一体感のある雰囲気がこれまたすごい。 　持った感じは、平均的な万年筆から見ると幾らか重め。 　ただ、僕は重い方が良いと思います。軽い万年筆は取り回しが楽だけれど、どうも焦点が定まらない。ある程度の自重がある万年筆は、紙に向かってペンを持つと、その自重だけで自然にスッとペン先が紙面に下りていきます。この点ではペリカンのM800が実に理想的な重さをしていて、実際その重さに対する評価もよく耳にするところですが、823も同じか、ひょっとすると823の方が多少重い程度です。特に今回はフォルカンですから、この重さを基準にして、筆記の際に生じる筆圧の緩急を捉えるので、表現は広がるのではないかとさえ思います。 　一筆あててみて、ウンッと唸ってしまいました。すごい、面白い！ 　日本語は特にそうですが、「とめ」の時には力が加わって、「はらい」の時には徐々に抜けていくはずです。これを従来の硬いペン先で表現するのは限りがあるので、特に太字だと字が整いにくい傾向があるのですが、このフォルカンは1文字書く中で生じる筆圧の緩急を細やかに捉え、それを表現できるのです。これは素晴らしい！ 　「ああ、これだけ寝かせて書く方なら、フォルカンの書き味も味わえますねぇ」 　僕は比較的筆圧が弱い方で、万年筆も寝かせて書くのですが、フォルカンに向いた書き方らしいです。とめ、はね、はらい……日本語の筆記において掛かるあらゆる筆圧を忠実に再現してくれるこのフォルカンに、僕は思わずにんまり。 　「これ、ください……」 　 　フォルカンはキワモノの万年筆ではありません。 　日本人の、日本人のためのペン先です。日本語を書く上で最も理想的なペン先だと思います。 　筆圧に応じて……と聞くと、極端な文字になってしまうのでは、と思われるかも知れませんが、実際の文字は大変綺麗なものです。 　考えた以上に柔らかいペン先でしたが、ペン先はパイロットの最大規格である15号を採用。ペン先としては大きいので、弾力性も富むのであろうと思います。また装飾がない、のっぺりとしているのも、ひょっとすると薄く仕上げるための都合なのかも知れません。 　しかしながら耐久性に優れた14金を採用。決して柔らかくて壊れやすいペン先というわけではなく、弾力性、耐久性も十分に考慮された最も理想的なペン先に仕上がっているのです。 　萩原さんも、このフォルカンがキワモノだと思われがちなことを残念がっていて、「是非試してみてほしい万年筆です」とのこと。 　 　軸は半透明。 　個人的に透明は余り好きじゃないのです。なんか、安っぽくて…… 　823には通常「黒透明」「茶透明」があるのですが、黒の方が透明度が低くて余り透明感が目立たない感じがしたので、今回は黒を選びました。 　一般的なカスタム823では透明度100%の「透明」も数量限定品としてラインナップされているのですが、アサヒヤさんでは透明フォルカンを一定数量を仕入れる約束で定期的に入荷しているそうです。お好きな方は是非。 　 　プランジャー吸入式。 　一般の吸入式は、軸尻のネジをクルクル回して吸入していくのですが、このプランジャー吸入式はちょっと変わっています。 　アサヒヤさんのWebページに動画付きで詳しい説明がありますが、元々はイギリスのデラルー社というところが、オノトというブランドの万年筆を作り、そこに採用したのが始まりのようです。明治時代には日本でも広くオノト万年筆が普及していて、プランジャー式と言えば、この頃から昭和初期まで大変流行った吸入方法です。ピストンを押し込むと、空気圧で一気にインクを吸い上げるという機構……なんだかすごくそそられるものがありませんか？ 　 　この万年筆に入れたインクは、パイロットの色彩雫（いろしずく）の「深緑」。 　本当を言うと、セーラーと神戸のナガサワ文具店が共同開発した「湊川ライム」という色が大変好きなのですが、万一の相性問題など色々リスクを考えて、この色に決定しました。 　萩原さんにも相談したのですが、ちゃんと実際に紙に書いたサンプルを持っていて、あれやこれやと出して下さいました。サンプルはエルバンと色彩雫の各色。プリントされたサンプルではない、実際に書いたところのインクの色味なので、かなり参考になりました。 　緑なのですが、幾らかブルーの入った落ち着いた色です。これはこれでいいかも…… 　 　この万年筆の良さは、実際に書いてみないと実感できないところが良くもあり、残念な点でもあります。 　僕自身そうですが、風聞や、先入観で、どうもキワモノなんじゃないかな、正統派とは遠いんじゃないのかな、と思い込んで使わない、それは大いにもったいないことだと思います。実際に手にとって確かめてみると、ペンの長さ、重さ、大きさ、手触り感など、あらゆる点で大変バランスの良い万年筆でした。そこにフォルカンというペン先が乗り、それを日本人が日本語を書くために使うという条件が揃うと、それは実に理想的な1本と言うことになります。是非余念なく触ってみていただきたい。 　 　萩原さんとは、その後迷惑を顧みず2時間以上も話し込んでしまい、最近の万年筆業界の動向やらフルハルター森山氏の話題などなど、実に多岐にわたって話題が尽きませんでした。非常にためになる話が多くて、森山氏とのエピソードは大変興をそそられました。差し支えない程度にブログに書こうと思ったのですが、結構ギリギリの路線の話が多かったように今更気づいて、ちょっとここには書けません。モンブラン偏向の側面事情の話や、万年筆業界の話題、交友関係の話など、その辺の話です。機会があれば、またいずれ。 　 　アサヒヤ紙文具店もこだわりのお店です。 　じっくりと万年筆を選ばせてくれるし、アドバイスは的確です。プランジャーの解説も実際の機構を分解して見せて下さいます。 　ただ売るだけでなく、ちゃんと売るという姿勢が滲み出ていて大変尊敬できるお店だと思います。 　その店が扱うカスタム823のフォルカンは、これまた823にどうしてもフォルカンを載せたい、そのこだわりがパイロットを動かしたという点で、こだわりの万年筆だと思います。 　そういえば、こんな話がありました。 　千利休が古い急須を入手したのですが、残念ながら蓋がなくなっていました。 　そこで蔵の中を探し回り、ちょうど良さそうな蓋を見つけてきて、それを急須に合わせてみると、それは大変素晴らしい組み合わせであり、しみじみと感じられる風情が何とも言われぬ良い味わいとなったそうです。 　利休は弟子の細川忠興にその意外な組み合わせを見せて「良いものができました」と言うと、忠興は立ち返り、自分も真似て良いものを作ってみた。なかなか巧くいったので満足して利休に見せると、利休は残念そうに首を横に振り、 　「これは偶然にできたもので、そこに美がある。君のは偶然でない、作為で作られたものだ。そこに美はない」 　と答えたそう。 　まさにその心で、アサヒヤさんというこだわりのお店が、パイロットカスタム823とフォルカンを組み合わせ、パイロットもまた協力してくれたというところにこだわりがあり、余人が823と743をすげ替えたのとは話が違うのです。僕はそのこだわりを愛する者として、823フォルカンを常用の1本に加えたいと思います。]]></description>
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		<title>「大間まぐろカレー」</title>
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		<pubDate>Mon, 09 Aug 2010 03:45:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>くま社長</dc:creator>
				<category><![CDATA[レトルトカレー日記]]></category>

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		<description><![CDATA[　青森県と言えばマグロ。 　マグロと言えば大間というほど、大間の本マグロは有名なマグロです。 　そんな大間産マグロをレトルトカレーにした贅沢なカレーを今回レビューします！ 　パッケージの表には「りんごジュース使用」などと物騒な（！）コメントが書かれており、辛口カレー好きの意気を消沈させる気迫に満ちていますが、トドメに「わかめ入り」と書かれているのは、もはや諦めろ、と通達を受けたようなものです。 　ところが裏面には「大人の辛さ！！海の男の味！！」と。……どっちやねん。 　辛さの表示もないところを見ると、これは過去の経験上、「どっちつかず、基本甘口」の典型例です。既にこのブログの記事でも幾度か経験しています。あー、やっちゃったか。 　調理担当のねこ社員が、レトルトの袋を触った瞬間、「ざんねーん」とボソッ。 　それは封を開けて出されたものを見て分かった。 　そう、具がない。ほとんど具がないのである。 　まず、食べた感想。 　基本的にはそんなに不味くはありません。カレーとしてはキレイにまとまっていて、そこそこ煮込まれてもい、実に手堅いです。 　想像したとおり、甘さベースの味付けですが、極端な甘さではなく、まあ、普通……どちらかというと、シチューに近い雰囲気です。スパイスも最低限程度、あまりカレーの味わいは深くありませんでした。 　コクは余り感じられず、シーフードカレーらしさはまるでありませんでした。先にシチューと表現したことからも、基本あっさりしすぎているのだと思います。 　マグロは小さなサイコロ程度の大きさのものが、3、4個。あまりの少なさに、「こんなんだったら、むしろカジキマグロでいいからたっぷり入れろ！」と吠えてしまいました。ちょっと切なすぎ。 　黒い、ニュルニュルしたものが混ざっていて、最初はマグロの皮かと思ったのですが、後で思い出した、ワカメです、あれ……美味しくないです。変なもの入れないに越したことないと思うのですが。 　うーん、今回はちょっとハズレ……海の男も随分緩くなった、と言われかねませんから、もうちょっとガツンと来るカレーをお願いしたいものです。]]></description>
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